超長崎びいきのわたしが長崎人と長崎での生活を振り返ってみる

こんにちは、ことです!

なんとなく久しぶりの超日記スタイルが書きたくて。

もし興味がある方は読んでくれると嬉しいなぁ。

今回のテーマは長崎人と長崎での生活について。

他県出身で超長崎びいき(自称)のわたしが独断と偏見とともにお送りするので、あたたかく見守ってください。

長崎人と長崎のファーストインプレッション

長崎人=変わってる?

わたしが人生で初めて会った長崎人は、夫です。第一印象は「変わった人」。

いろんな人にぐいぐい話しかけるコミュニケーションの取り方が、日本人ぽくないなぁなんて思ってました(ド偏見な当時の感想です)。

長崎人=ゆるい?

その後、夫以外の長崎出身者と接するようになり思ったことは「ゆるい」。

なんでも友達同士貸し借りするし、その借りたものをお互い何年も使ってたり、次使う時まで返してと催促しなかったり。

「南に行けば行くほど関係がゆるくなる」という通説を聞いたことがありましたが、長崎もそうなんだぁ…と心の中で驚いていました(ウソです。直接言ってました笑)。

※ちなみに、わたしの出身は四国・徳島で緯度的には長崎と大して変わりません。

「長崎名物」井戸端会議?

長崎に住み始めてさらに驚いたことは、どこでも井戸端会議が始まること。

始めの家が幹線道路沿いだったことも関係しているかもしれませんが、家を出ると街の至るところ(体感)でばったり出会ったおばさま方がとても楽しそうにお話していました。

スーパーに行っても、道を歩いていても「あら〜!」という声がそこかしこで聞こえてきて、特にスーパーの入り口では数グループがお話していることも。

これをわたしはいつも「長崎名物」と呼んでいます。

長崎人について勝手に考察してみる

やっぱり長崎の地形が独特

「長崎名物」井戸端会議が発生する理由をしばらく考えていたのですが、やはり地形が大きく関係していると思います。

坂の町ゆえに、スーパーやショッピングセンター、複合商業施設などの多くが、まとまった土地を確保できる幹線道路沿いに建設されています。

すり鉢状になった住宅街から買い物のために坂を降りてくると、あら不思議。そこかしこで見知った顔が。

な〜んてことなのかなぁ。

長崎人はお話好き?

地形以外にも大きいのは、長崎人の人柄だと思います。

好き嫌い関係なく、見知った顔を見かけても気づかないふりをする人もいますが、なんだか長崎の人は声をかけるのにためらいがないような?

長崎で中小企業の事務をしていたこともあるのですが、先輩や同僚の方たちもいつも楽しそうにお話してました。仕事に関係することも世間話も、ざっくばらんに。

長崎人は人懐っこい?

いま住んでいる琴海の小さな街は、人口ゆえに井戸端会議の発生頻度は少ないですが、お話し好きで人懐っこい長崎の気質をありありと感じます。

バスを待ってるとき。コンビニで。海でぼんやりしてたら。マルの散歩中。

話しかけられたり、話しかけたり。挨拶してくれたり、挨拶したり。顔馴染みになって趣味の話をしたり。

内と外の区別があまりない

長崎は「異人さん」や華僑の人とともに街を作り上げてきたからなのか、いまも観光客が多く訪れるからなのか、よそから来た人に本当にやさしい街だと思います。

「身内」と「他人」もしくは「よそ者」の区別が比較的ないんじゃないかなぁ。

その線引きを肌で感じたことがない人も絶対多い(はず)。

脊髄反射で内と外の区別をする文化圏から来た民のひとりとして、長崎はとても居心地がいいです!

上と下の差も少ない?

あとひしひしと思うのは、長崎は貧しい。

貯蓄や年収・時給などを見ても、住居建物を見ても、全国比で見るとお金が豊かにある土地ではありません…。

それに加え、戦争の歴史やその後の後遺症などによって、金銭面だけではない苦労を忍んできたはず。

だからこそ、はじめに少し触れたような「ゆるい」関係性が構築できるのかもしれません。

困っている人を見たら放っておけない。豊かではないから助け合って分け合って暮らす。何かがあってもその人の苦労を知っているから大目に見る。

貧しさや困りごとは多いかもしれませんが、わたしは長崎人は人間として豊かだと思います。

変人を育てる土壌がある

最後に語りたいのは、長崎人って変人多いですよね?ね?(わたしが感じているだけ?同意してくれますよね?)

ファーストインプレッションで、少し変わっているように見えた夫。自覚なかったけど、夫の比較にならないぐらい変人だったわたし。

そんなふたりの体験をこめて、ずばり書きます。長崎人は変人をあたたかく見守ります!

異文化を受け入れる大きな器のある長崎人にとって、多少の違いや特徴なんて些細なことなのでしょう。

出る杭は打たれる?そんな諺は長崎では通用しません。

分け隔てない土地柄なので、どんな人ものびのび生きることができています(ありがとうございますありがとうございます)。

そして、ときに驚愕の才能を持ち合わせた奇才が現れることも。

事実、ひとところに収まらないクリエイターやアーティスト、多いと思います。才能をいかんなく発揮できる長崎という土地のおそろしさよ。

好きな人たちの土地で暮らすこと

住むところを探すとき、注意することはたくさんあるけれど、わたしが提案する基準は「その土地の人のことが好きかどうか」です。

わたしは長崎の人、好きです。琴海の人は特に(ひいき目)。

思えば、以前住んでいた土地も、旅行に行ったとき「あ、ここの人たち好き」って思ったから住むことを決めたんです。

長崎に住むのは自分で決めたわけじゃありませんが、住み始める少し前ぐらいから「長崎の人ってなんかいいなぁ」とふんわり思っていました。

対個人だと第一印象が変わる可能性もあるけれど、その土地の人を集合体で捉えたときのじんわりくる「好き」は、あんまり裏切らないんじゃないかな。

もちろんリアルに住んでみたら、大なり小なりいろいろと思う場面もあります。

でも「この土地の人たちトータルで好きなんだよなぁ」「いつもこの土地の人たちに優しくしてもらってるし」って思うと、自然と気持ちが切り替わってたり。

好きな人たちを育んだ土地で暮らす穏やかさ、大切にしたい。

提言:ポテンシャルに甘えないで

あんまり言いたくないけれど、残念なとことも書いておきます。

素材がいいものが揃っているからって、努力怠ってないかーい!

観光地も水産資源も自然も豊かなのに。そして変人・奇人もといいい人材が豊富なのに。人口減るばかり(これは国の問題でもあるけど)。

ポテンシャルを生かしたブランディングの部分がいまいちなのかなぁ。

「長崎人」の良さをレコメンドしてたら、みんな住みたくならないかなぁ。ほんといいんだよなぁ、長崎って。

夫には夢がある

なんでも貸し借りしちゃう、勝手に長崎人代表の夫には夢があるそう。

それは、車の整備工場ぐらい大きな倉庫を事務所として借りて、みんなのコワーキングスペース兼コーヒースタンド兼レンタルフォトスタジオにすること。

「コーヒー代置いて行ってくれたら自由に使って」と言いたいらしい。

くあぁ、長崎人だなぁ。友達何人かでなんでも貸し借りしてたときのようなことを、大規模でしたいとか。

うーん、いいじゃない、それ。なんかみんなでわいわい話したいね。奇人変人大歓迎。

なんてことを今日のご飯あとに話したので、その勢いで長崎人に対する感謝と熱い思いを書いちゃいました。以上。

最後に言い忘れてた

あ、最後に言わせてください。

長崎は陸の孤島。物流の端っこ。おかげで美味しいお魚がちゃんと地元で食べられる。たまらんっ!

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